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成長し続けるDecathlon – Decathlon(デカトロン)の軌跡(第3話/全3話)

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成長し続けるDecathlon – Decathlon(デカトロン)の軌跡

地道に、道理にかなう判断で

第1号店の管理業務を経験した後、若きPoizat は1年後に控えた2号店オープンに向けての調査を担当します。 “Roncq(1号店のあるLilleに程近い町)に、候補地が2ヶ所ありました。どちらも大型のAuchan駐車場への入口となる場所です。
Michelは一般的な市場調査とはやや趣の異なる調査をしてみるようアドバイスをしました。それは、なんと、入っていく車の数を1台1台数えるという地道なものでした。同時に、実現できるという確信を得られるような、道理にかなうものでもありました。”

Decathlonのルールブックは書き換えられる時が訪れました。それは、ユーザーを笑顔にさせ、スポーツ製造業の眉をつり上げさせるような内容でした。

Benoît Poizayは記憶しています。 “安値の価格設定を見て、納品を拒否するサプライヤーも出て来ました。6月にオープンし、8月までに商品棚は実質空っぽに。あまりに安い価格で製品を販売するDecathlonに対し、サプライヤーが納品を拒んでいる。その状況を説明するためのポスターも貼り出しました。同時に、Decathlonのユーザーに対する思いも発信されていました。
MichelLeclercqはボイコット運動をしているサプライヤーとの訴訟を指示しました。どの裁判でも結果は勝利でした。”

スキー板のエピソードもひとつご紹介します。冬のシーズンが始まってすぐ、マウンテンスポーツ部門のマネージャーは深い付き合いのあった製造メーカーに注文した製品が届くのを、首を長くして待っていました。しかし、このブランドのスキー板は、Lille の都心部にあるスポーツストアの店頭に並んでいました。
“Decathlonには納品したくなかったと、このブランドが認めていることも、別の販売メーカーから情報を受けました。” Benoît Poizatはこう話します。

“それならばと、トラックを借り、パリへ向けて車を走らせました。そして、とある専門ストアにある全在庫を購入したのです。Decathlonであると気づかれることなく、割引価格で購入することができました。Englosストアに戻り、購入したすべての製品を商品棚に陳列し終えたら、ブランドに電話をかけました。’Decathlonに納品する意向がないことは承知しました。ただ、もうすでに貴社のスキー板はDecathlonの店頭に並んでいます。‘
さらにこう付け加えました。’もし今回の注文で信頼を裏切るようなことがあれば、翌週には貴社のスキー板が仕入価格のままチラシ広告に掲載されるかもしれません。’ 納品が再開されたのは、その3日後でした。”

このCMは、小さな工夫で大きな宣伝力を放つ広告テクニックが駆使されています。

北部出身の芯のぶれない集団が設立した会社により制作されました。

Decathlonの初製品

Decathlonが正式に企画・設計・製造を手がけた初製品は1986年に誕生しています。それは、パッションブランドの始まりでもありました。しかし、実は1976年のストアオープン時にもすでに、Decathlonは独自ブランド製品を販売していました。それが、街中で時々見かけるDecathlonサイクルです。

“スタート時、多くの製造メーカーは製品をDecathlonへ納めることに、あまり積極的な姿勢は見せてはいませんでした。” そうBenoît Poizatは当時を振り返ります。1社ずつ訴訟を経て、合意を得ることに成功しました。 主要な製造メーカーからのボイコットを受け、Decathlonはマージンをより低く設定することで状況を克服しました。

第1号店のサイクリング部門マネージャ-Stéphane Delesalleは、Lille近くのLommeにある自転車製造メーカーLeleu社への訪問を考えつきます。“Leleu社の自転車にDecathlonの名が入ったラベルを貼る案に、賛成していただけますか?” もちろん、LeleuはDecatlonでの販売を快諾してくれました。

当時、色はグレー1色のみの展開でした。 “そのかわり、全サイズが揃っていました。” Benoît Poizatはそう思い出し、続けます。 “他の自転車メーカーが導入していない試みでした。メタリックグレーのDecathlonサイクルを至る所で目にするようになるまでに、そう時間はかかりませんでした。” この一件が成功を約束する、確かな成長へのきっかけとなりました。

パイオニアメンバーによるこれら開拓に費やした年月は、Decathlonのすべての基盤として根付いています。

“40年前の1976年も、2016年になった今も変わりません。Decathlonの核心となる価値を創造し、ユーザー視点であり続けること。それが、秘訣でしょう。” Benoît Poizatは説明します。

“Decathlonの40年間のビジネスにおいて、揺るぎない事実が判明しました。購入した週、ユーザーは更衣室かスタジアムにいるのです。Decathlonのサービスや製品に心を打たれたユーザーは、Decathlonの素晴らしさを周囲に共有します。
DIYであれば、そのような更衣室も仲間とのたわいもない世間話もないでしょう。情報交換や交流を楽しめるのも、スポーツの良さではないでしょうか。もちろん、価値ある成長マーケットではありますが、Decathlonは独自のアプローチをこれからも継承していけるような道筋を作りました。
初心者レベルからトップレベルまで、こどもからシニアまで。すべての人々がスポーツを楽しめるようにすることは、願いでもあり、現実のものでもあるのです。”

使いやすく安全、そしてどんなニーズにも対応する目的別デザインと手頃な価格のスポーツ用品の宝庫、それがDecathlonなのです。

ビジネスと共に成長を

1976年の夏、Didier Decramerは乗馬部門の立ち上げを任命されていました。
“どんなものをユーザーのみなさまに提供するべきか、私と話し合ったメンバーはひとりといません。どのような展開にしていくのか、すべては私次第でした。毎週、店頭に並ぶ製品がユーザーのニーズにマッチするものか販売状況を分析しました。いかにしてサプライヤーと協力しながらも、狙いどおりの結果へと交渉を進めるかを説明するフレームワークも完成させました。”

そして、常にユーザーのために最善の対応をしてもらえるよう、時にはとてつもない距離を走り回りました。
“愛車Renault 12に乗り込み、質の高い皮なめし工場が軒を連ねるイギリスBirmingham近郊Walsallという街へ。サドルメーカーの住所も調べて手に入れました。
1軒1軒、足を運びました。私の口から値引きの言葉が出るまでは、至って順調でした。私はつたない英語を操りながらも、ユーザーのためには通るべき道だと考えていました。”

Didierは愛車に製品を山積みにして、Calaisと税関を経由しフランス北部に戻りました。
“製品を運んだのは、金曜日の夜の出来事でした。夜のうちにラベルを貼り終えられた製品は、土曜日の朝にはひとつも欠けることなく店頭に姿を現していました。そして、私自身が考える販売価格を設定しました。すべてを自分で事を進めたのです。”

Englosストアオープンから10年後、DecathlonはMichel Leclercqの描いたコンセプト、価値観を同じくするチェーンストアを展開していました。

Leleu社の自転車にDecathlonのラベルを貼り付けたDecathlon初製品誕生の10年後には、Decathlon自らがデザインし、製造する製品が販売されるようになりました。

“いつもこのプロジェクトの心を持つのが、Decathlonスタッフです。” Didier Decramaerはそう主張します。それは、Didierが考える好ましい人物像。つまり、自分の役割、舞台をひとつまたひとつと広げ、目標を高く、提供されたトレーニングの機会を活用してリーダーシップを発揮していくような、仕事で確かな花を咲かせる人々でもあるのです。

“仕事を通じて、共に成長していくのです。” Gérard Allentの言葉は続きます。 “この成功への方法は、フランスで15,000人以上のスタッフが在籍するようになった現在も変わりません。” 40年前、今日へ通じる正しい道筋をつくったのは、わずか7人のメンバーでした。

“40歳になったDecathlon。ここからがまたスタートです。” MichelとGerardはくったくのない笑みを浮かべて、次の言葉で締めくくります。

“また40年後に!80本のロウソクを全員で吹き消す日が今から楽しみだね。”

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